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京の石文化を守り継ぐ。
社寺・一般建築石材について

石工の流儀
あらゆる石仕事をこなせる職人であること
北川俊弘

石工の流儀

北川が石工の仕事を始めたのは約30年前である。もともとは植木職人として長年、植栽や植木の剪定、造園の石垣積みなどの仕事をしていたが、30年前に、その造園会社から芳村石材店に、石が扱える職人として派遣されたのが始まりである。それからずっと造園の仕事の傍ら石工の仕事をしてきたが、今ではすっかり一年を通じ、石工としての活躍の場が多くなっている。

石工には造園の職人からなる人も少なくない。

石工の流儀

大きな庭石やオバケ灯篭などの重量物を解体して、運び、据え直す技術や、飛び石や参道などの石を貼り、メジを押える技術、石垣を積むセンスなどは造園職人も石工も重なる領域が多い。むしろ、石仕事の後仕舞いに土を戻したり、整地するなどは、植木出身の彼たちの方が、土仕事を知っているだけに、丁寧で優れた点も多く見受けられる。芳村石材店には、そんな異業種から石職人となった人が多く、仕事に幅と厚みを与えてくれている。

また、北川は造園の仕事をする前は、木工所で加工製造の仕事もしていた。木工所では主に尺貫法を使って仕事をしていたので、社寺建築の石材施工で、尺貫法を使うことが多い芳村石材店の仕事では、大いに役に立ったと言う。

北川は今年、50歳。京都の伏見で生まれ、育った。酒造で有名な町だが、北川の体質には酒が合わず、いつも酒席では一人、烏龍茶を啜り、車で帰って行く。

飄々とした面持ちで、仕事も着実に淡々とこなしていくが、黒く焼けた顔でニカッと白い歯を出して笑い、冗談も良く言う。「仕事が趣味だ」と言いきっていても、全然、嫌味がなく、頼もしい存在である。朝早くから、晩遅くまで、不満を言わず、与えられた仕事以上の仕事をこなしている。

石工の流儀

芳村石材店での仕事を通じて彼は、文化財の修復工事や宮内庁の鳥居の工事など、関係者以外は立ち入れない現場に関わって、石工の仕事に魅力を持ったと言う。また、数多くの石仕事の分野がある中でも、特に文化財や社寺の修復工事の石仕事が好きであり、得意だとも言う。北川は、普段は墓石の建立に関わる仕事が多いが、いざとなれば、社寺建築の石仕事も立派にこなしてくれる貴重な存在である。

職人には仕事の得て不得手や好き嫌いも有り、人間ならいたしかたないことだが、「仕事が趣味だ」と言いきる北川には、プロとしての割切りと柔軟性を感じる。

そんな彼が思い出に残っている、仕事を問うと…
「文化財に関わっている鹿苑寺(金閣寺)の茶室の解体修復工事と、それに伴う石階段、たたみ石の工事ですね。あと各天皇陵の石鳥居の建て替えなどは、写真で紹介できたらな、と思います」と、応えた。 北川は、文化財の修復の仕事や宮内庁の仕事に関わることができる芳村石材店の仕事には、誇りを持ち、また偉大さを感じていると言う。

最後に京都に住み、この仕事を続けていくための“石工の流儀”と目指すことを尋ねてみた。
「自分は、京都の文化と歴史を残すことに貢献するために、石工として仕事が認められるように日々努力をしながら、続けていきたいと思っています。そんな自分が抱く、石工としてのこだわりは、図面に描かれた寸法を確実に実行し、石工事を完成させることです。そして目指すことは、建築施工や墓石建立などの分野を問わず、石工として、全ての仕事がこなせる職人でありたい。ということです」と、いつもの飄々とした面持ちで、さらりと応えた。

 

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