石工の流儀
ニーズに応えれる石職人を目指し、次の世代へ
富田宏二
富田が石工の仕事を始めたのは、学生時代に、芳村石材店で、たまたまバイトをしたためである。富田は語る。
「バイトでは毎日、職人さんを現場まで送り迎えしたり、石材の道具を運ぶ運転手をしていたんですが、毎日、職人さんについて行くと、見るもの聞く事、全てが新鮮で、とても楽しかったんです。そのうち職人さんのスキを見ては、自分で石を切ったり、石を据えたりして、気が付くと、バイトの私がバイトの子を連れて、現場を回っていました。(笑) 使う道具も日に日に増えて、いつしか一人前の職人並みに揃って、そのまま職人になっていました」「今、振り返ると当時の自分には、何か熱いものがあった気がします」
富田は、今年51歳。スッとした立ち姿が頼もしい。
元水泳の関西学生代表であっただけに、今も大きな胸元と締まった体を維持しているが、口元には欧米人のような髭をたくわえ、彫りの深い顔のためか、いささか押しの強さを感じさせる。しかし、目じりの下がった笑顔は可愛い。面白いことも良く言い、話を飽きさせることがない。
同志社の学生から迷わず、石工になっただけに、どこか違う。石工の一級技能士の資格を持ち、社寺や一般建築を問わず、多くの現場をこなした御蔭か、若くても人一倍、石職人の自信と誇りを持っている。
芳村石材店から始めて、石工の仕事を25年。いま一番、仕事がのっている男の一人でもある。
そんな彼に、この仕事の醍醐味を尋ねてみた。「今までに経験したことのない石仕事は、まだまだ
沢山あると思います。そういう仕事を試行錯誤を繰り返しながら完成させる。その後で、しみじみと達成感と充実感を味わうのが好きなんです。得意な石仕事は、数寄屋建築や社寺建築の石材施工です。こういう仕事は比較的、時間と予算があり、最上の仕事ができるからです」「特に思い出に残っているのは、瑞穂ゴルフクラブのクラブハウスの仕事。職人になって初めての現場でもあるけど、あの時は寒さのあまり、私の人生で初めてパッチを買いましたし」(笑)。
富田の出身は、愛知県名古屋。市の中心で育った。そんな彼が、京都に住みこの仕事を続ける意義は何か?「そこに、石仕事があるから…。でしょうか?」。ポツリと、考え深い答えが戻されてきた。
最後に石職人のこだわりと、めざしたいことを尋ねた。「私のこだわりは、お客様のニーズに合わせること。ニーズとは“品質”“時間”“予算”という3つの組み合わせだと考えます。」「例えば予算内で施工できても、品質が悪く、時間がかかり過ぎていてはいけません。また質が高くても施工が遅く、予算をオーバーしていてもいけません。“品質”“時間”“予算”の絶妙なバランスを保ちながら、お客様へ理にかなうご提案をさしあげ、お客様のニーズに応えることであり、私が大事と思っているところです。」「その意味で、私の流儀と目指すことは、世の中のニーズに応える仕事のできる職人を目指すこと。それと、今までに先人達から受け継いだ知識、技術を次の世代の人達に伝えることです」。「でも“伝えるべき若い人がいない”という現実を感じる時もあります。もっと若い人が興味がもってもらえる仕事にしていきたいと考えています」
と、富田は唇を結び、深く腕を組んだ。
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