芳村石材店 芳村石材店

石建築

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祇園 花見小路 石畳

京町家・数寄屋造りの 石仕事

京町家の再生

京都の美しさを伝える風景として「京町家」の存在はかかせません。黒やこげ茶に塗られた木造家屋の正面には、格子入りの窓と引き戸。軒には一文字瓦をのせ、二階の白壁には虫籠窓。夏は西側のガラス窓に簾もかかり、チリンと鳴く風鈴の音は風物詩でもあります。
京町家は「うなぎの寝床」と言われ、間口が狭くて奥行きの深い佇まいですが、そこは“職住の家”としての知恵と工夫がいろいろ詰まった空間でもありました。

通りに面した部屋は店の間として仕事場に使われ、その奥と上が家人の住まい。店の間の先は「通り庭」と言われる土間が、奥の庭まで続きます。暖簾ひとつで土間の入口を内と外に分け、内には井戸や“おくどさん”と呼ばれる竈を配した台所が広がり、見上げるほどの吹き抜けの天窓からは光が入り、調理の熱や煙が抜けます。
奥には小さいながらも庭があり、木々や燈篭、蹲、飛石などでレイアウトされて、四季の彩りが楽しめるとともに、店先からの風の通り道でもあります。室内には京間という幅広い畳が敷かれ、襖を開けると急な階段が出現したり、階段に収納箪笥があるなど、限られた空間が最大限に活かされています。夏が暑く冬の寒い京都ならではの家の形です。
いま残る町家は“蛤御門の変”後の建物と言われていますが、町家の歴史は古く、京都では平安時代にすでに存在していたようです。特に商工業が発達し始めた鎌倉後期から安土桃山時代は、町家も多く軒を並べていたようです。
最近では京町屋もお洒落なレストランや店舗、宿泊施設に生まれ変わった建物が増えました。何軒も町家が並んで再生されることは、景観が良くなり地域も活性化するため、京都に住む私たちにとってもうれしいことです。

京都の数奇屋造り

京町屋が賑わっていた安土桃山時代は、茶の文化も隆盛を極めた時代でした。“侘びさび”で表現される茶ノ湯は、茶室や庭の作りにも美しさを求め、その極致として数奇屋造りの建物が発達したようです。“数寄屋”はもともと茶室のことを言い、江戸時代以降に住宅などに形の幅を広げ、今では高級な木造住宅だけでなく、料亭や旅館の造りにも多く見受けられます。京都ではそうした素晴らしい建築物が残され、今ものその匠の技は伝承されています。

町家、数寄屋造り、木造和風住宅を支える石仕事

京町屋の再生は基本的には既存の石材を活かして行います。しかし損失や消失した石材は、新しく造らなくてはなりません。また新しく建てられる町家風の店舗や数奇屋造り、木造和風住宅にはもちろん新しい石の加工と使い方が必要です。石の使い方にしても、丹波石の根石、御影石の敷居、玄昌石の床貼り、鞍馬石の沓脱石など、さまざまあります。また、ビシャン、小叩き、平安と仕上げ技術も多様です。
特に石の施工は設計の先生や棟梁の、図面とイメージに基づいた完成度が必要です。そしてそのためには長年、石の仕事に関わってきた人間としての適切な提案も求められます。自然の趣を考慮した石の選択から、ミリ単位の床貼り仕上げまで、プロの建築家の厳しい目に応え初めて本物が作られると考えます。
私たちは全てお預かりした図面を基に、営業担当が石の施工図面と加工図面をCADで作成します。また施工内容に応じた経験豊かな石工を選び、作業能率と完成度を高めることに、こだわっています。

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