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石彫刻

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北野天満宮 石茂型狛犬

狛犬とは

狛犬とは

神社の参道のなどで良く見る狛犬の起源は、仏教発祥の地「インド」と言われています。古代インドで仏像を守護するためにライオン(獅子)像を置いていた慣わしが、仏教の伝来と同じように、中国から朝鮮を経て日本に伝わったようです。
朝鮮半島の高麗(こうらい)から来たので“高麗(こま)犬”とも呼ばれるという話や、朝鮮は関係なく直接、遣唐使が唐から持ち帰ったものだという話もあり、良くわかりませんが、現在よく見る狛犬は、日本で新たに変化した形のようです。

狛犬は1対で「狛犬」と言うくくりになっていますが、良く見ると左右の形が違います。向かって右側が“阿”(ア)と口を大きく開けた獅子。左が“吽”(ウン)と口を閉じて頭に角を生やした狛犬です。どちらもライオンをモチーフにした架空動物ですが、この「獅子・狛犬」のペアで「狛犬」と呼ばれています。また狛犬が阿吽型になったのは、お寺の山門に立つ仁王像にならったもので、この点が日本独自の形と言われています。
ただ必ずしも全ての狛犬が阿吽型で、また神社だけに建っているわけでもありません。神仏習合の長い歴史がある日本では、お寺の境内でも狛犬の姿が見られます。
例えば京都清水寺にも仁王門の階段下に巨大な狛犬がいます。そしてこの狛犬は、両方が口を開けた阿阿型になっています。

狛犬の居場所

狛犬は基本的には厄除けや神様の守護ということで、神社の参道や拝殿前の両側に建てられていますが、平安時代の頃は神殿の中に置かれたタイプが多く、木彫りの狛犬だったようです。それが鎌倉時代の頃には、だんだんと拝殿前の参道両脇など、外に立つ全天候型の石の狛犬になり、さらに参道入口の鳥居前に立つなど、外へ外へと守備範囲を広げたと言われています。因みに社殿内は「神殿狛犬」、外にいるのは「参道狛犬」と分けられます。現存する日本で一番古い石の狛犬は、奈良の東大寺南大門北側にいる狛犬だと言われています。鎌倉初期に宋人が石を中国から持ってきて造ったと言われています。このタイプの狛犬は人気で、京都でも嵐山の車折神社におられますが、清水寺の狛犬も東大寺のに習い、昭和19年に造られています。

京都の狛犬

狛犬にも建立ブームがあったようです。特に江戸時代に徳川家康を祀った日光東照宮が造られた時に、二人の大名が狛犬を寄進したのをきっかけに、武士や町民の間でブームになり、やがて浪花(大阪)にも飛び火したようです。京都にはそのずいぶん後に浪花を経て入りますが、盛上りに欠けていたようです。
また狛犬の建立ブームは戦後にもありました。狛犬製作の機械化により、一部の産地で作られた優れた狛犬の形を基本として、工場生産のように画一的な狛犬が量産され普及したようです。
京都は、この工場生産型狛犬が誕生する以前から、比較的狛犬のイメージが定型化していたかもしれません。京都には関東の狛犬のような自由奔放な形は少ないようです。
しかし狛犬以外に竜や麒麟、獏も同じ架空動物ですがイメージは統一しています。八方睨みの竜は、京都のどの寺院を見ても同じ竜の形をしています。無論、竜は同じ宗派だから統一されているとは思いますが、狛犬の場合もある程度、姿が画一的なのはいたしかたないかも知れません。むしろ、平安からの長い歴史の中で社寺建築の伝統文化を護り続けてきた“京都”という町の特殊性からすれば、当然だったかも知れません。

また、京都には白川村と言う、有名な御影石(白川石)が採れる産地がありました。私たちの先代もいた石工の村ですが、この村(産地)と京の町が、非常に近いということも見逃せません。作り手と使い手が近いという利便性が、作業効率を高めて、一方で商品情報の共有化や画一化を促したのかもしれません。

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