石茂型狛犬について
石茂型狛犬について
茂右衛門は私ども芳村の「襲名」の名前です。
狛犬は江戸で流行り、難波に飛び火し、遅れて京都に入ったと伝わっており、まさしく“茂右衛門”の狛犬はブームのあった江戸時代を遥かに過ぎ、明治も12年頃から明治39年の間の約30年間に名前を多く残しています。この頃のは、3代目と4代目茂右衛門の作品と思われます。
茂右衛門の狛犬作品は小寺慶昭先生の名著「京都狛犬巡り」(192頁)に、詳しくご紹介いただいていますが、特に北野天満宮に多く置かれています。場所は三の鳥居の前、楼門の階段両脇、絵馬所前の参道入口、そして東門鳥居前の4箇所です。
その他、近くでは敷地神社(わら天神)、上御霊神社、下御霊神社の狛犬にも「石工 茂右衛門」の名が刻まれています。小寺慶昭先生のご本における評価では、特に北野天満宮の絵馬所前の参道入口に置かれた茂右衛門の狛犬に注目されて、以下のように書かれておられます。
「従来の狛犬より比較的短い足だが、実に力強い。たてがみの表現が複雑になり、顔の表情も豊かになっている。(中略)茂右衛門の狛犬の躍動感は実に洗練されていて、清爽な感じを与える。この狛犬のモデルについては分かっていない。ただ、浪花狛犬や白川狛犬の一部を改良した姿でなく、新しいイメージを導入しているに違いない。そして、この狛犬の形式が岡崎狛犬が浸透してくるまでの間に、特に大正から昭和にかけて主流となるのだ(浸透後もかなり設置されている)。滋賀県下にはこの系統の狛犬が多く残っている。現時点で、私は「石茂狛犬」と名づけているが、仮称であり、今後の他地域での調査を待たなければならない。」
ずいぶんと引用が長くなりましたが、京都中だけでなく、各地の狛犬を巡りご研究された、専門家の先生のお言葉なので、そのまま載させていただきました。