石造美術の魅力
■石造美術について
“石造美術”という言葉は、石灯篭や石碑、石仏など石を材料とした彫刻品について生涯にわたり研究し、体系化された、川勝政太郎先生の大著「石造美術」の表題に基づくものです。
先生の定義による“石造美術”とは「石を材料として造られた美術的遺品、歴史考古学的遺品のすべてをふくむもので、必ずしも美術的なものだけを研究対象とするものではない。ただし石器時代の石製品や古墳の石棺は、その範疇から外し、主に、飛鳥時代以降江戸時代に至る時代に属し、石を材料として製作された遺品に限る」という主旨のことが述べられています。
その中には、人工的に形を加工したものは無論のことですが、自然石に仏を線彫りしたものや、また石大工として木造建築物に付随して造られた石壇や露盤、台座等も含まれています。“飛鳥時代以降に製作された石製品”となると、538年に百済より仏像や経典が伝わった、いわゆる仏教伝来以降ということになりますが、596年に蘇我馬子が発願して創建された日本最古の寺院建築が飛鳥寺ということなので、この頃以降の石造品ということになるかと思います。
“石造美術”についての歴史や専門的な話については、川勝先生の著書をお読みいただくとして、私が伝えたい“石造品”は、今でもごく普通に私たちの周りで見られる石灯篭や石仏、狛犬、石碑、石塔などについてです。これらの石造品はあまりにも身近で見過ごされているものばかりです。
特に私の住む京都とその周辺エリアは神社仏閣が多いのですが、専門書を見なければ目の前の石仏や五輪塔が重要文化財だなんてわかりません。そんな“路傍の石”ともいえる石の創作物に敬意を表し、「石造美術」という括弧でくくりながら、個々の特徴などを別項で紹介できたらと思っています。
■京都、奈良、滋賀は石造美術の宝庫
昭和50年前後に発刊された、日本石材工業新聞社が監修した、「日本の石造美術シリーズ」を見ますと、当時紹介された石燈篭重要文化財一覧32点のうち、京都9点、奈良10点、滋賀8点、合計で27点となっています。
岐阜、三重、大阪、福岡と他府県も紹介されるなかで、実に84%が京都、奈良、滋賀に集中しています。その他、石仏の重文・史跡・国宝一覧や、宝塔・多宝塔重要文化財一覧、五輪塔重要文化財一覧を見ても、シリーズ全体の半数以上が、この1府2県で占められています。
※シリーズ全体で紹介された地域は岩手、福島、長野、神奈川、栃木、富山、大阪、岡山、広島、愛媛、大分と全国的に散らばっていて、編集上の偏りはないと思われます。
もちろん昔のデータなので、現在は比率が多少異なるかも知れませんが、仏教伝来以降に奈良、京都、滋賀エリアを中心に、幾度も遷都しながら平城京や平安京という大きな「仏の都」が、このエリアを中心に築かれたことを思えば、重要文化財級の石造美術が多いこともうなづけます。
とは言え、これらの石造美術はほとんどが野外にあり、風雨にさらされたものが多く、興味のない人には、ただの古びた石の塊でしかないのも、残念ながら事実です。
■石造美術の魅力
恐縮ですが私流に言わせていただくなら、三つあります。
一つは、コツコツと“人の手で造られた”ということです。もちろん木彫りの仏様や仏壇仏具も“人の手で造られた”ものです。特に広隆寺の木造弥勒菩薩半跏像や、運慶・快慶の東大寺南大門金剛力士像をはじめ、素晴らしい木像作品が多く見られます。(私もお寺や博物館に行って見るのが大好きです)
また、ありがたいことに仏像ブームもあり、多くの方が京都にも訪れていただいております。でも、石仏や灯篭、狛犬などの石造品はあまり注目されません(悲)。こんなに木に比べて、硬くて重い素材をコツコツと手で彫り、博物館で飾られることもなく、造った作者さえほとんど知られていないなんて‥。
でもそこに刻まれたノミの一振りごとに造る人の“想い”や“ぬくもり”を感じます。石にかける情念というか、やがて風化して消えゆくものに「美学」を感じると言えば、言い過ぎでしょうか(笑)。
二つめはなんと言っても“造形の素晴らしさ”です。特に古代型五輪塔や多宝塔などの石碑、石灯篭などは、どっしりとした安定感やむっくりとした趣きがあります。どこか現代人にはない感覚(宗教心?)や時間の捉え方によって造られたようで、不思議な造形美を感じます。
また石仏にしても長年の間に表面が風化され、丸みを帯びて、面もわからないのですが、そこが何ともまた魅力です。人の造ったものに、自然と時間の力が加わりできた形であり、野外に在るからこその、メイキングとも言えます。
そして三つめは“やがて造れなくなる希少性”です。もちろん技術的なことではありません。今でも灯篭や石仏、古代型五輪塔や多宝塔を造る技術を持つ人は各地におります。
でも日本の石産地が、中国など外国製の安い価格に押されて、まだ産出が可能なのに閉山を余儀なくされているように、長い不況とデフレ化により国産石造品が売れません。国内の優れた、多くの石工が活躍できる場を無くしているのです。安さへの“需要”の高まりは悪いことではありません。私たち生産者もその声にお応えする努力をしています。でも需要のない仕事には、後継者が育たないのも事実です。
日本人がコツコツと“手で造ってきた”石造品の技術や伝統、文化が少しずつ、確実に喪失(風化?)しつつあります。喪失することが、希少性を高めると言うのは悲しいことです。
仮に中国で、優れた石造美術と呼べるものを造れる職人が育つのなら、まだ救いはあるのですが‥。中国の人は少しでも賃金の良い方に流れるため、せっかく教えた石工の仕事も捨て転職します。日本のように親から子へ、弟子へと技術を継承するなど望めないのです。
■石造美術のこれからへ
“石造美術”と呼ばれるような石造品が多く造られたのは、仏教が隆盛した鎌倉時代です。この時に石工の加工技術や道具も進歩したと言われています。仏教がさまざまな宗派を生み、貴族階級から武家、庶民へと信仰の輪が広まった時代だからこそ、石造品にも多くの“需要”があったと言えます。そういう意味では、人々の信仰心が希薄な現代に、石造品に対する急激な“需要”の波がくるとは思えません。
でも私たちは「仏の都」である京都に住んでいるおかげで、奈良、滋賀のエリアも含めて、身近に多くの模範(本歌)となる素晴らしい石造美術に出会うことができます。また幸いなことに、長年にわたり京都だけでなく岡崎、庵治、出雲と各地の技術の高い石工さんと協力関係をとらせていただいております。
このような環境に恵まれた私たちは、「京都の石屋」として少しでも日本人の手による素晴らしい“石造美術”と呼べる石造品をこの世に送りだし、後世に遺せるお手伝いができればと心から願うとともに、ご提案をいたしております。 |