ホーム : 京都の墓地・霊園紹介 :臨済宗 大徳寺塔頭「興臨院」
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興臨院(大徳寺内塔頭)大徳寺は、京都の中心地から少し離れた洛北に位置し、とても静かなところです。 臨済宗大徳寺派の大本山で、千利休や信長・秀吉にまつわる有名な塔頭寺院も多く、興臨院もその中の一つ。 空気の澄んだ広い敷地は、紅葉や竹林と雰囲気が良く散策するのもお勧めです。
※興臨院は一般公開されておりません。春と秋の特別公開のみ 「大徳寺 興臨院 春の非公開寺院特別公開」 2015/3/22(日)~6/7(日) 10:00~16:00 お問い合わせ メールやお電話にてご相談ください <畠山義総 ゆかりのお寺> 戦国時代、能登の守護である畠山義総(はたけやまよしふさ)により建立されました。 以後、菩提寺となり、興臨院は義総の法号『興臨院殿伝翁徳胤大居士』が由来となっています。 開山は大徳寺第86世小渓紹怤(しょうけいじょうふ)和尚(仏智大通ぶっちだいつう)です。 畠山義総は戦国時代の武将で、能登の畠山氏の全盛を築いた人物でしたが、 興臨院を建立直後に本堂が火事で消失してしまいました。そして、畠山家も衰退していきます。 再建後、前田利家が屋根等の修復を行い、前田家の菩提寺となりました。 方丈は、禅宗のお寺特有の造りで、部屋が6つに分かれています。 中心の部屋を室中の間(しっちゅうのま)といい、ご本尊が安置されています。 開祖である畠山義総の像が正面に祀られており、その左隣に前田利家のお位牌が並んでいます。 大徳寺塔頭にはそれぞれ、開祖のお墓がありますが、興臨院には前田利家のお墓はありません。 方丈前の庭園は中国の蓬莱山(ほうらいさん)をイメージして作られた枯山水庭園。 この庭園は昭和の小堀遠州と言われた中根金作(なかねきんさく)氏によって作庭されました。 大徳寺は別名、茶面と呼ばれ大徳寺の全ての塔頭に、お茶室が設けられています。 興臨院のお茶室は涵虚亭(かんきょてい)と呼ばれ、入口が2つある特別な造りをしています。 武士であろうが、何人でもお茶の前では平等であり、躙口(にじりぐち)は頭をさげなければ中に入る事ができませんが、位の高い人にまで、頭を下げて頂くわけにはいかないと、入口がもう一つ作られています。 千利休の躙口と古田織部によって作られた貴人口(きにんぐち)に分かれています。 お問い合わせ メールやお電話にてご相談ください |