ホーム : 京都の墓地・霊園紹介 :真言宗 新京極通「誠心院」
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華獄山東北寺 誠心院
修学旅行生や観光客が行き交い、賑わう新京極の一角に誠心院はあります。
初代住職は恋多き女性と言われた女流歌人「和泉式部」。
華嶽山東北寺誠心院と号する真言宗泉涌寺派の寺で、通称和泉式部寺の名で知られています。
お問い合わせ メールやお電話にてご相談ください 平安中期の恋愛歌人で、才色兼備の誉れ高き「和泉式部」。 代々の勅撰集におさめられている和歌は247首に及んでいます。 彼女の数多くの和歌の中から、百人一首に選ばれたのは あらざらむ この世の外の 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな 和泉式部(56番) 『後拾遺集』 自らの死を予感した時に詠んだ「死んでしまう前に愛する人に、今もう一度会いたい」という歌でした。 中古三十六歌仙の一人で敦道親王との恋物語風の日記「和泉式部日記」は、時代を代表する日記文学となっています。 和泉式部は恋多き女性で、道貞と破局した後、為尊(ためたか)親王、その弟・敦道(あつみち)親王と結ばれ、さらに2人の死後、一条天皇の中宮彰子に仕え、藤原保昌(やすまさ)とも結婚します。 ■和泉式部忌■ 千年忌を記念して式部観音像が建立されました。 午前:本堂内で和泉式部に因んだ謡曲「東北」「誓願寺」の奉納 午後:開山和泉式部忌、春のお彼岸法要 境内には和泉式部の墓といわれる“宝篋印塔(ほうきょういんとう)”が佇んでいます。 この塔は塔身正面にのみ阿弥陀三尊の梵字が標されている珍しい法篋印塔です。 高さ約4mのこの石塔は、正和2年(1313年)に改修建立されました。 娘の小式部内侍に先立たれた和泉式部は、書写山円教寺の性空上人に勧められ誓願寺の本堂に四十八日籠り、ご本尊に教えを受けます。 女人の身でも六字の名号(南無阿弥陀仏)をお唱えすれば、身の穢れも消えて往生できる事を聞き、六字名号を日々お唱えして、阿弥陀如来と二十五菩薩に迎えられ浄土へ往生しました。 謡曲「誓願寺」では、和泉式部の往生の際に二十五菩薩と共に現れます。 墓地に、阿弥陀如来を中心に、両脇に観音菩薩・勢至菩薩など左右に25体の菩薩が並んでおり石仏の二十五菩薩は珍しいと言われています。 像は安土・桃山時代、天正年間(1573-1592)に、宇治田原城、城主・山口甚介により寄進、建立されました。 誠心院さんの本堂は“小御堂(こみどう)”と呼ばれ、堂内には和泉式部が仕えた 中宮彰子から賜わったといわれる本尊の阿弥陀如来像はじめ、和泉式部、藤原道長のそれぞれの像が安置されています。 山門をくぐるといくつもの絵画が展示されています。 お寺にに伝わる彼女の人生を描いた「和泉式部縁起絵巻」(江戸時代製作、上下二巻)がパネル形式で説明されています。 和泉式部の歌碑「霞たつ 春きにけりと この花を 見るにぞ鳥の 声も待たるる」。 歌碑の傍らの梅ノ木は、和泉式部が生前に愛木した「軒端の梅(のきばのうめ)」 にちなんで、後に植えられたものです。 お経が書いてある車を、お願い事をしながら手のひらでグルグルと回します。 「魔尼車」とも称され、一回転させれば、経典を一回唱えたことになります。 知恵授け・恋授けのご利益があるといわれています。 本堂前には幕末の大火で消失した神変大菩薩像を再興した石像があります。「百親音巡拝」成満を記念して建立されました。 「神変さん、水かけの行者さん」として親しまれ、行者像に水をかけ祈念します。 他にも誠心院さんの魅力がたくさんつまった写真をお届けします。 誠心院永代供養についてはこちら その他の永代供養についてはこちら 女子ブログにて、誠心院さんに関することを紹介しています。 お問い合わせ メールやお電話にてご相談ください |