ホーム : 京石工の流儀 : 意志疎通良く、皆で最上の仕事を。望むは後継の育成 - 島村善勝

京の石文化を守り継ぐ。
社寺・一般建築石材について

石工の流儀
意志疎通良く、皆で最上の仕事を。望むは後継の育成
島村善勝

石工の流儀

島村は当年とって67歳。石職人としての経験が50年の大ベテランだ。若い職人たちの中に入っても偉ぶることもなく、いつも屈託のない笑顔で、うまく周りをリードし仕事を確実にこなしていく。島村は京都の出身。五人兄弟の末っ子として生まれた。中学生の時、家計を支えるために新聞配達のアルバイトをした他は、石工の仕事しか知らないと言う。この男には、体の芯から“石屋魂”が染みこんでいる。小柄だがガッシリとした骨太の体型は、そんな長い石工人生で磨かれた彼の勲章だ。歳を感じさせないキビキビとした動きは、見ていて頼もしい。

彼がこの仕事を生涯の勤めとして選んだのは、今から50年ほど前。10歳離れた一番上の兄が大理石を扱う会社の工場で、働いていて、その工場に自分も入ったのがきっかけである。機械を使って石を切断したり、磨くなどの加工仕事を学び、3年ほど続けてきたが、いつの間にか彼の心に石の現場での仕事を勉強したいという意欲が芽生えていた。そして意を決して、石工の現場へと飛び込んだ。それからはずっと現場一筋。
彼が現場での石の仕事を覚え、勢いがつき始めた昭和40年(1965)は、前の年に東海道新幹線や名神高速道路が開通し、東京オリンピックが開催されている。いわゆる日本の高度成長まっただ中である。そして関西でも、昭和45年(1970)の日本万国博覧会の開催に向けて、建築関係の石材需要が多く、目が回るほど忙しかった時期でもある。請負仕事が主だった現場は、早朝から夜遅くまでフル回転。今の中国さながら、日本全体が新しい未来に向けて、おもしろいくらいに稼げた時期でもある。でも島村は、中学の時から新聞配達をしていたおかげで「どんなに忙しく朝が早くても、全然苦にならなかったよ」と、当時を振り返り懐かしそうに笑う。

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修羅場とも言える工事現場で長年、1ミリにこだわる板石張りの仕事を数多くこなし、石工1級技能士の資格も持っている。得意な石仕事は?と尋ねると、やはり板石の壁張りや土間張りだと答える。

「最近では、石の加工技術が良くなっているので、その良さに負けない施工技術が求められるんです」と、より完全な仕事への意気込みを見せてくれる。
なかでも好きな仕事は、昔に良くやった鉄平石、大谷石などの乱張りや方形乱張り。難しい仕事だが「手がけた職人の個性やセンスが良くでるので好きです」と胸を張る。

今までに思い出に残った仕事は、23歳の時に東京の皇居内にある「楽部音楽堂」の石工事を約1年間させてもらった事。

京都で生まれて、京都で育った彼は、京都でこの“石の仕事を続ける”ことへの思いも強い。島村は言う
「石は、あらゆる建造物の基礎となっています。そして千年の都であるこの町、京都には日本人を魅了する、美しい歴史的建造物がたくさんあります。その美しい京都を、美しくする石に携わっているということ、この素晴らしい“素材”である石材を、もっと多く使って頂いて、もっと美しい京都になればと願って仕事をしています」

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そんな彼の仕事のこだわりと、めざしたいことを尋ねると…
「最近は、お客様の私達への要望のレベルが上がっていると感じています。“いかにお客様の要望にこたえるか”。それを自問自答しながら、仕事のレベルを上げている毎日です。特に精度の高い内容に応えるためには、関係する人達と打合せを数多く行い、意思疎通を図ることが大事です。私は、この事にこだわりたいと、考えています。」「それと、石工の仕事を末長く続けるには、やはり人の育成が大事です。これからは、もっと若い人に石の良さと、石工の仕事の生きがいについて伝えられたらな。と考えています」

石工歴50年を超す大ベテランは、人の和を持って仕事をすることの重要さと、次代を繋ぐ人の育成の大切さを語ってくれた。

 

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